宇都宮家庭裁判所栃木支部 昭和51年(少ハ)1号 決定 1976年4月06日
少年 H・J(昭三一・一・四生)
主文
上記本人を昭和五一年四月一二日から同年一〇月一一日まで中等少年院に継続して収容する。
理由
(八街少年院長の申請要旨)
本人は昭和五〇年四月一二日宇都宮家庭裁判所栃木支部において中等少年院送致の決定を受け同月一六日から八街少年院に収容され昭和五一年四月一一日収容期間満了となるが、特に成績に大きな問題はなく現在仮退院の申請中であるが浮浪性があり元、関係していた暴力団とのつながりも根強いものがあり、受入態勢の調整中であるが、なお出院後帰住定着まで保護機関の強力な指導援助が必要と考えられるので、少年院法一一条二項により上記収容期間満了の翌日から六か月間の収容継続を申請する。
(当裁判所の判断)
本人、本人の父H・S、八街少年院法務教官○山○の各供述及び本件申請書添付の理由書、当裁判所調査官作成の調査報告書、その他一件記録によれば次の事実が認められる。
本人は在院中、特に著しい問題行動はなく処遇経過も順調に進み、昭和五一年一月一日には一級上に進級し現在までに努力賞三回、優良賞一回を受賞しており生活訓練とも向上への意欲がうかがわれるが、その反面、自己統制力に欠け知能の低格性もあつて思考が場当り的、依存的でありかつ、浮浪性も身についており、圧力のある場面では外的に統制されるが、圧力のない場面では感情的、衝動的に行動し、その場限りの雰囲気に左右されやすいなど、社会生活に適応しているとはいえない。
一方、本人を受け入れる環境の面として、父は農業のかたわら日雇をしているが腰を痛め思うように働くことができず、母は病弱であり、本人に対する保護能力に乏しい。又以前、本人が使われていた的屋(暴力団員)が上記少年院に訪れ、兄と称して本人と面会し、三万円を差し入れており、その関係に根強いものがうかがえる。(もつとも父は三万円を返還し現在、その関係は切れていると述べてはいるが疑問であり、その解消に相手方との十分なる了解工作が必要と考えられる。)そのうえ、父母の住居の近所に上記的屋の親分が住んでおり、本人が帰住すれば、再びその組織に加入するおそれも十分あり、父は本人の帰住を望んでおらず又、本人自身も父の許に帰住することを欲していない。ところで本人は一応、組織からの離脱を考え、八街町地内において食堂店員となることを希望しているが、就職先が見当らず、さしあたつて同所の篤志面接委員(建設業社長「八街友の会」主幹、保護司)方に帰住し、就労することを予定しており双方間にその了解がついている。しかし、本人は、同人方の仕事(建設関係)を長く続ける意思はなく、働きながら食堂店員の就職先をさがして転職したいと考えている。以上を綜合すると本人の性格、過去の生活態度並びに仮退院後の受入態勢等から考えて、なお、当分は保護指導の下におかなければ環境に左右される不安が多分に存し、再非行のおそれがないとはいえないので、本件については、収容期間満了後も相当期間本人を保護観察に付する必要があり、しかして、その期間は収容期間満了日の翌日である昭和五一年四月一二日から六か月間(昭和五一年一〇月一一日まで)とすることが相当である。
よつて少年院法一一条四項、二項により主文のとおり決定する。
(裁判官 和田忠義)